「皆が自然に子どもができるわけじゃないことを知った」。男性は不妊治療を通して多くを学んだという(写真と本文は関係ありません) 「皆が自然に子どもができるわけじゃないことを知った」。男性は不妊治療を通して多くを学んだという(写真と本文は関係ありません)

 在来線を乗り継いで東京・新宿へ向かった。2015年の師走。群馬県甘楽町の男性(50)は年下の妻と、どちらからともなく語り合った。

 「これで駄目なら仕方ない。2人で生きていこう」

 県内で3年4カ月余り不妊治療に臨み、子どもができず、都内の専門クリニックへ移った。

 「妊娠して、出産して。結婚すれば普通にそうなると思っていた」。漠然とした考えと現実は違った。

 入籍して半年以上たっても授からず、高崎市の専門クリニックへ通い始めたのは12年1月、41歳の頃。タイミング治療も、5回の人工授精も駄目だった。

 「精子の運動率が良くない」―。医師からの指摘は今も忘れない。

 13年に、卵子と精子を培養液の中で受精させる「体外受精」と、卵子に精子を直接注入して受精させる「顕微授精」に臨んだ。4月と8月に受精卵を子宮へ移したが、着床しなかった。年末には自然に妊娠したが、すぐ流産。14、15年も受精卵を凍らせた「凍結胚」を使うなどして移植を試みたが、できなかった。

 国と県による助成金は制限を上回り、あっさり打ち切られた。「諦めろってこと?」。男性は県の担当者を問い詰めた。

 「賭けかもしれないけれど…」。知り合いから新宿の専門クリニックを勧められた。治療実績をアピールしており、この知り合いもここで授かった。

 既に100万円以上費やしていたが、正確な計算はやめていた。「ここでかけなければ。後になって、例え数百万円が手元に残っていても、後悔する」

 15年12月、卵子を二つ採取し、いずれも受精卵として凍結。ホルモンバランスや甲状腺の数値など体の状態を確かめ、医師が認めた時期に子宮へ移植した。受精卵の一つは17年、もう一つは数年後に、第1子、第2子として生まれた。

 転院が妊娠、出産の分岐点だったのか。男性は冷静な見方を崩さない。

 「新宿に行ったからできた、というわけではないと思う」。その時の卵子の状態がたまたま良かったのかもしれない、タイミングが適していたのかもしれない―。心身や経済的な負担は大きかったが、当初通った高崎市のクリニックへの否定的な気持ちは薄い。

 不妊治療は、当事者双方の理解と協力がなければ成り立たないと感じる。「奥さんだけに任せて『俺、知らねーや』じゃ、とてもできない」。同僚で同じように治療に臨んだ人がいたことは、後に知った。「言わないから分からないけど、多いはず」と感じる。

 結果的に自分は授かったが、治療を受けてもできないケースは多い。治療に臨む人には、「頑張ってとしか言えない」と思う。

 取材に、男性は写真撮影を拒んだ。「万が一、体外受精とか顕微授精とか面白おかしく言われたら、子どもたちが心配。これだけのネット社会だし」

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