▼最初の日本人移民を乗せた船がブラジルに着くのは1908年6月。ただ少し前に移民を受け入れる準備のため5人の通訳が入国している。その1人が高崎市出身の嶺昌(みねさかえ)だった

 ▼移民の多くは飲んだことのないコーヒーの豆栽培に携わった。「金のなる木」と言われたためだが、実際はジャングルの開墾など過酷な労働に従事する人やマラリアで命を落とす人もいた。嶺ら通訳は入植地に付き添い、こうした移民を支えたという

 ▼現地で県出身の移民を取材した折、コーヒー農園を訪れたことがある。土産用にいい豆を買いたいと伝えると、「高級豆はほとんど日本とドイツに輸出する。日本で飲めますよ」と意外な答えが。ラテンの雰囲気が伝わる包装の見栄え重視に切り替えた

 ▼世界最大の産地ブラジルはことし、寒波と干ばつに見舞われた。不作で相場が高騰し、日本でも家庭用豆の値上げが相次ぐ。日々何杯か欠かさぬ人にはつらい

 ▼見回せば値上げの秋である。世界的な原材料価格の上昇で、今月からマーガリンや冷凍食品、輸入小麦の売り渡し価格も上がった。毎日の食が世界と深くつながっていることを値上げから実感する

 ▼嶺は再び群馬の地を踏むことなく、39歳で生涯を閉じた。墓は豆が積み出されるサントス港を望める場所にある。遠く離れた故郷でコーヒーがこれほど愛され、値上げが騒ぎになるとは想像しなかったろう。