▼印象に残る写真がある。1992年アルベールビル冬季五輪のスピードスケート女子1500メートル。橋本聖子選手が銅メダルに決まった瞬間、入沢孝一ヘッドコーチ(現高崎健康福祉大監督)と肩を組み、満面の笑みを浮かべている姿だ
▼過去7回五輪に出場し、丈夫な体に恵まれているかと思いきや、子どもの頃は腎臓の病気で入退院を繰り返した。高校時代は肝臓や呼吸器系の病気を患ったと明かしている
▼そこから日本女子初の冬季五輪メダリストとなった。本県で講演した際「リハビリを通じて障害のある子どもたちに出会い、メダルを勝ち取れたら夢につながると思い、奮起できた」と語っている
▼森喜朗氏の後任となる東京五輪・パラリンピック組織委の新会長に橋本さんが就任した
▼不明朗会計に揺れた日本スケート連盟の会長に就いた時も火中の栗を拾った人だ。酒気帯び運転の選手に出場停止処分を下した際は「もっと重い処分であってもいい」と語った。五輪選手団長として「腰パン姿」の選手の開会式出席を差し止めたこともある
▼新型コロナの感染拡大で五輪開催を疑問視する声がある。就任会見では選手に向けて「迷うことなく夢の舞台に立てるように、今の社会の空気を変えていく」と強調した。スケート王国群馬には友人が多い。手腕に多くの人が注目している。