▼県議会創設から3年後の1882(明治15)年8月に臨時会が開かれた。議題は関東を中心に流行していたコレラ対策だった。県議会史によると初代県令・楫取素彦は感染拡大に歯止めがかからない状況を訴え、約1万3000円の追加予算の承認を求めた

 ▼対策は消毒薬の購入や検疫医の雇用などが中心。議会側は「消毒薬の購入量を増やすべきだ」「今までどのように購入、配布していたのか」などと指摘。〈猛烈な意見の続出で騒然〉となった末に可決されたという

 ▼8日に山本一太知事が発表した2021年度一般会計当初予算案も最重点事項は新型コロナウイルス対策だった。人類の歴史が感染症との戦いだとあらためて実感する

 ▼実際、楫取が臨時会を招集した4年後にコレラが再び全国的に大流行した。県史によれば死者は東京、新潟、神奈川、長野、千葉、埼玉、茨城、栃木で2万5000人を超えた

 ▼だが、この時の群馬県は各地に「避病院」や検疫所を設け、感染者の隔離や旅行者の検疫を徹底。死者は近隣県で最も少ない228人だったという。県史は4年前の経験が生かされたと指摘し、〈よくこの数で抑えたとすべき〉と高く評価している

 ▼県の当初予算案は17日から県議会で審議が始まる予定。明治期の先人に倣い、経験を生かして感染の収束につながるような議論を期待したい。