▼敗戦から間もない1949(昭和24)年、戦没学生の遺稿集として出版された『きけわだつみのこえ』の表紙裏の挿絵となり、世の人々の心を打った絵がある。骨と皮ばかりに痩せ、死の寸前にある兵士の自画像だ

 ▼作者は前橋市出身で、東京美術学校を繰り上げ卒業して出征した関口清さん。その絵を描いた10日後、既に終戦を迎えていた45年8月19日に、沖縄・宮古島の野戦病院で亡くなった。26歳。餓死同然の戦病死だった

 ▼手帳や手紙など清さんの遺品は2006年、東京・本郷に「わだつみのこえ記念館」が開館したのに合わせて遺族が寄託した

 ▼同館は遺族が大切に守り続け、託された学生の遺品1500点を収蔵する。来館者には同世代の若者も多いといい、渡辺総子ふさこ事務局長(84)は「生の言葉や思いが記された遺品の現物は、時を経ても来館者の心に響く」と話す

 ▼衰弱する中、清さんは日記に「俺はこの戦争の、そして人類のいやすべての結末がみたい。生きねばならぬ」と記した。日記が途絶えた後も最後まで手帳に絵を描き続け、そして絶筆の自画像を残した

 ▼戦後75年。清さんが生きることを渇望した世界を私たちは生きている。どれほど時がたとうと、戦争の負の記憶は絶対に次世代に伝えねばならない。館内を埋め尽くす学生たちの遺品がそれを教えてくれる。