▼日本の蚕糸業がかつてない危機に見舞われたのは1930(昭和5)年。世界恐慌の影響で生糸価格が暴落し、製糸業者の倒産が続出、養蚕農家も大打撃を受けた

 ▼この時、群馬と並ぶ蚕糸県の長野で農村救済策として、手染め、手織りを復活させる運動に取り組んだ人物がいた。小説を次々と刊行していた山崎あきら(1892~1972年)である

 ▼多くの困難を経て、日本古来の草根木皮による染色を始め、「草木染」と命名。東京で「復興展覧会」を開き、各地で指導を行った。さらに以後も生活文化誌の主宰をはじめ数々の活動を繰り広げた

 ▼文学を軸とし山崎の多岐にわたる仕事に光を当てる県立土屋文明記念文学館の企画展「文学と、草木染と-山崎斌のこころざし」を見て、並外れた情熱と行動力に驚かされた

 ▼交流があった島崎藤村は、山崎の最初の小説を「第二の国木田独歩が生まれた」「新しい生々いきいきとした感情を見せてくれた」と激賞。草木染研究に対しても「ウィリアム・モリスの仕事に近い」と英国の著名なデザイナー、思想家と重ね、たたえた

 ▼浮かび上がるのは、異なる分野とも映る二つの仕事に共通する姿勢だ。山崎は自らの活動を振り返った。〈決して懐古ではなかった。あえて言ふ温古であり、知新といふよりは更に「行新」でありたいと願ってのことであった〉と。