▼幕末・明治期の前橋の歩みをたどると心躍らされる。社会が激動する中、前橋城の再築をはじめ、画期的な事業が次々と繰り広げられたからだ

 ▼多くは、前橋が最大の輸出品である生糸の主産地だったことが起点となっており、各分野に変革をもたらした。とりわけ大きな影響を与えたのが鉄道の敷設である

 ▼日本最初の私鉄、日本鉄道が横浜への生糸輸送のために最優先で取り組んだ上野-高崎間の鉄道が開通したのは1884(明治17)年5月だった

 ▼当初から前橋の旧城下町まで延長する計画があり、そのためには利根川に架橋する必要があった。しかし巨額の費用が必要なため、やむなく内藤分村(現在の石倉町)に停車場(駅)が設けられ、同年8月に開通した(『前橋市史』第4巻)

 ▼5年後の89年、製糸業者を中心とする前橋町民の根強い運動が実り、難工事の末に鉄橋が完成。両毛鉄道とつながって生糸の大量輸送が実現し、前橋は急発展する。これに伴い利根川西岸の駅は廃止された

 ▼資料がほとんど残されていないこの駅の、開業していた時期の県の文書が発見されたという(17日付本紙)。出張業務を命じる辞令で、「内藤分村停車場」と記されていた。絹産業の繁栄がもたらした成果の一端を物語る貴重な資料だ。歴史をひもとき、先人の情熱と行動力にもう一度触れたいと思う。