近年、私は手で織る織機「手(て)機(ばた)」に触ることが多くなっています。今回は次の2例を紹介します。

 まずは、2016年に始まった「鳳純(ほうじゅん)会 高機(たかはた)復元プロジェクト」です。この活動は、桐生市広沢町にある彦部家屋敷で、桐生の織物の歴史に関係する機織り道具や織物の復元、関連資料の調査研究を進めています。また、桐生で使われていた手織機を収集し、創作工房「織(おり)学舎(がくしゃ)」を開設しました。

 彦部家は桐生を代表する旧家で、かやぶきの母屋や長屋門などがあり、国指定重要文化財になっています。屋敷内の竹やぶは1600(慶長5)年の関ケ原の戦いで、徳川軍に献上した竹として知られています。私たちは、この竹を織機の部品に使った「弓棚(ゆみだな)仕掛けの高機」を復元し、公開しています。

 最近の古文書調査によって、彦部家でも江戸時代末には数人の織子(おりこ)や染(そめ)職人を抱え、帯などを織っていたことが分かってきました。

 収集した5台の織機は、主に伊勢崎で作られた小型のものです。戦時の供出で鉄製の織機を失った桐生の機屋(はたや)たちが、銘仙の生産で大量にあった伊勢崎の手機に飛び付いたのでしょう。しかし、伊勢崎のものは経糸(たていと)の巻き方が昔の居坐機(いざりばた)の方式であるため、その部分を桐生式に改造しています。

 このプロジェクトでは、23日午後1時半から成果発表会を開催します。機織りや染の実演、解説を行い、来場者の体験も予定しています。また、活動の参加者も募集中です。詳しくは彦部家のウェブサイトなどをご覧ください。なお、現在は「高機活用プロジェクト」と名称を変えています。

 次に、一昨年から今年にかけて実施した前橋市蚕糸記念館の織機2台の修復です。

 敷島公園門倉テクノばら園内の記念館では養蚕と機織りの道具や資料を展示公開しています。しかし、この2台の織機は最初の展示から時を経て、経糸がぼろぼろになり、部品も壊れ、ごみのような状態でした。新しい経糸を準備するとともに、いくつかの部品も作り替えました。

 1台は居坐機で、下枠の角材に製造者の「矢嶋新三 佐波郡上植木 前橋本町支店」の焼き印が押されていました。調べたところ、1904(明治37)年の資料に、前橋市本町1丁目の大通りにその機道具屋の支店があったことが判明。これは前橋地域でも機織りが大事だったことの証しでしょう。

 もう1台は高崎のほか県内広域で使われた高機で、バッタンを使った機械的な連続運動が特徴です。この織機の経糸を巻くボール紙には伊勢崎の機屋名が見え、銘仙などの平織に必要最小限の装置に替えて使っていました。

 いずれも地域産業の歴史を示す貴重な資料と言えるでしょう。こうしたものを残し、後世に伝えることも重要だと考えています。

 【略歴】元県繊維工業試験場主任研究員。当時から国内外の染織技法やデザインを研究。2022年、米メトロポリタン美術館KIMONO STYLE展の図録を執筆。