「(ろ)老農船津傳次平(でんじべい)」。この人って? そんな疑問に答えて、船津伝次平(1832~98年)の65年の生涯をたどると、そこに近代日本の農業の礎を築いた実践の人の偉大さ、現代にも通じる農法があった。まさに日本農学史上、最大の巨人だった。飛鳥山公園(東京都北区)に立つ船津翁碑の撰文(せんぶん)は、松下村塾に学んだ元長州藩士、農商務大輔(たいふ)などを歴任した品川弥二郎だ。

唯一の日本人教師

 富士見村(現前橋市富士見町)で寺子屋を開く農家に生まれた伝次平は、その足跡を沖縄以外の全都道府県に記した。とりわけ、かつて駒場農学校(1878年開校)の試験田だった、現在、東京・目黒区に残る唯一の水田は、先頭に立って原野を開墾した伝次平の農民魂なくして存在しなかっただろう。明治政府が招いた同校のドイツ人農芸化学教師の名前から「ケルネル田圃(たんぼ)」と呼ばれているが、お雇い外国人教師の中、唯一の日本人、それが伝次平だった。

 和算は関流皆伝、和漢の学を修めた伝次平は、封建時代にあって、迷信に縛られていた農業を科学的根拠に基づいて、解き放っていった。農民を説得、実践、...