群馬で「わが社の富岡事業所でロケットを造っている」という話をすると、次の一言まで若干の間があることが多い。日本でロケットを打ち上げている事実はご存じだが、それが富岡市で製造されている認識は薄く、わが社のアピール不足と反省している。

 IHIエアロスペースの前身である日産自動車宇宙航空事業部は、1998年に東京の荻窪から移転してきた。直後の2000年にIHIに営業譲渡され、IHIエアロスペースとして事業を開始。さらにIHIの宇宙開発事業部と合流した。移転から既に20年が過ぎた。荻窪事業所の周囲は住宅街で、各種規制から工場の建て替えや拡張ができず、将来を見越した事業に対応できなくなることが理由だった。今では約4倍、東京ディズニーランドと同じくらいの敷地で事業を行っている。

 群馬には「戻ってきた」感覚に近い。日産自動車宇宙航空事業部は戦前の中島飛行機の発動機事業が祖業である。中島飛行機は尾島町を発祥の地とする航空機メーカーで、戦前は東洋一と言われた。隼や疾風といった戦闘機の開発・製造をはじめ、三菱重工の零戦の委託製造数も本家より多かったという。その中島飛行機が戦後GHQにより解体され、発動機事業も数社に分割された。うち一社が富士精密工業、後にプリンス自動車工業となり日産自動車に吸収合併された。わが社は富士精密の時代、1953年からロケットの開発に着手し、イプシロンロケットにつながる純国産の技術を70年近く築いてきた。宇宙産業の中では正統な「レガシースペース」だ。

 現在、イーロン・マスク氏やジェフ・ベゾフ氏に代表される宇宙開発・利用ビジネスが活性化している。宇宙を地上と同じ活動領域として捉え、実用化していこうという動きは世界的に沸騰状態にある。宇宙関連のニュースを聞かない日は少ない。今まで宇宙とは関係のなかった企業も活動に参加し始めた。新たな会社をつくって参加している人たちもいる。これら新たに宇宙産業に参加してきた人たちを期待も込めて「ニュースペース」と呼んでいる。

 中島知久平が海軍を辞して民間企業主体で航空機開発・製造に乗りだしたことは、現在の宇宙開発や宇宙利用ビジネスが官から民へ急激に移行し、新たなプレーヤーが宇宙の業界に参画しているさまと似ており、むしろ全く重なっているように見える。われわれ「レガシースペース」がこれからの宇宙産業の中で役割を果たしていくには、これまでのやり方では通用しない。培った技術と人材を生かしつつ、旧来の殻を破り新たな世界に順応していく必要がある。口が悪い人は「レガシースペース」ではなく、「オールドスペース」と呼ぶ。オールドになってはいけない。何としても「ネクストスペース」として進化したいものだ。

 【略歴】現IHIに宇宙航空事業を譲渡する前の日産自動車に入社し、IHIに移籍。同社宇宙開発事業推進部長を経て2021年6月から現職。東京大工学部卒。

2021/12/15掲載