▼1月17日が近づくたび、「どうすればよかったのか」と、ふと思い出す。1995年の同日午前5時46分、阪神大震災が発生した。当時、出張のため大阪市内のホテルにいた。帰社予定の日だった

 ▼淡路島北部を震源とするマグニチュード7.3の直下型の大地震は神戸市などで震度7を記録した。高速道やビルが壊れ、神戸は火の海となった。死者は関連死も含め6430人以上に上った

 ▼大阪でも揺れは激しかった。跳び起きたものの、身動きがとれなかったことを覚えている。大阪駅の地下街で壁がはがれ落ち、階段がゆがむ光景を見て恐ろしくなった

 ▼「この場を離れなければ」。交通機関が軒並み不通となる中、なんとか動いていた南海電鉄を見つけ、開港間もない関西国際空港に移動し、羽田行きの飛行機に乗り込んだ

 ▼通信手段の確保を含めた準備もなく、被災地に入って取材や支援活動をすることは現実的でなかった。とはいえ、通常なら電車で30分ほどの距離にある被災地を前に「何もできなかった」という思いが残り、もやもやとする

 ▼阪神の後も新潟、東北、熊本など各地で大地震が起きている。本県で発生する可能性も否定できない。何ができるのか。何をすべきか。伝える側としてだけでなく、一人の生活者として被災当事者となった時の行動も考え続けたい。