被災地に向かい黙とうする高崎市等広域消防局の隊員=3月11日

 東日本大震災と福島第1原発事故の発生から、3月11日で10年となった。各地で犠牲者への祈りが捧げられ、多くの人が家族や地域の絆、備えの大切さを改めて考えた。福島県から群馬県に避難した住民が国と東京電力に損害賠償を求めた訴訟は最高裁に移り、国の責任が認められるかが焦点となる。事故により一部の国や地域では県産食品の輸入規制が継続。シイタケ栽培をはじめ1次産業では今なお影響が続いている。

 県危機管理課によると、被災地から県内への避難者は、最も多いときで3730人に上った。今年11月末時点では536人とされる。震災を機に家庭や自治体、企業などの防災対策、再生可能エネルギーの活用が進んだ一方、2014年の大雪被害や19年の台風19号など、この10年で本県はたびたび大きな災害に見舞われた。

 21年に大きな動きがあったのは、原発事故で群馬県に避難した住民らが、国と東京電力に損害賠償を求めた訴訟。二審の東京高裁は1月、一審前橋地裁判決を取り消し、国の責任を否定した。判決を不服として原告側、東電がそれぞれ最高裁に上告している。原告側によると、早ければ22年に他の同様の訴訟と合わせて判断が示される見通し。

 今月11日には前橋市で原告を支援する集会が開かれ、参加者が連帯を確認した。原告の1人で、福島県いわき市から前橋市へ避難した丹治杉江さん(65)は「10年が過ぎても被害者は翻弄(ほんろう)されたまま。さまざまな事情で裁判ができない人の分まで頑張り、最高裁で勝ちたい」と話した。

 原発事故は、県内の観光や農林業といった幅広い業界に深刻な影響を広げた。県内の一部地域で取れた野生の山菜などは出荷制限や出荷自粛が続く。中国、韓国などは県産食品の輸入規制を継続している。

 かつて群馬県が全国1位の生産量を誇った原木シイタケは、原発事故の影響で生産量が減少し、20年は3位だった。安全性確認のためほだ木などの放射性物質の検査が現在も求められる。

 渋川市北橘町のシイタケ農家、森田富雄さん(70)は、震災前から生産者が高齢化していたことに加え、原発事故が拍車を掛ける形で担い手が減少したと残念がる。「それでも長年のお客さんや、自治体の支援のおかげでこの10年続けられた。体力が続くうちは踏ん張りたい」と努力を続けている。