わたらせ渓谷鉄道の小中-神戸間の車窓から、古いコンクリートの建物が見えます。古河鉱業神戸発電所跡です。1942(昭和17)年以降、草木ダムができるまでの34年間、渡良瀬川から導水して発電、足尾銅山へ電気を供給していました。

 銅山で使用する電気は、経営者の古河が自らつくっていました。その始まりは1890(明治23)年、森林資源を燃料とする蒸気機関からの動力転換でした。足尾で渡良瀬川の支流から導水して発電所を建設、古河はわが国の電気事業の先駆者となりました。一方、同じ頃に東京で、純度の高い銅を作る電解精錬(電気分解による精製)を開始しました。さらには自社の銅を原材料とし、電線の製造業にも進出したのです。

 東京の工場は1906(明治39)年、水力発電の好適地である栃木県日光へ移転しました。古河は中禅寺湖~華厳滝の下流(大谷川)から導水して新発電所を建設、隣接地で日光電気精銅所の操業を開始したのです。大型化した自家発電は精銅所を含めた銅山全体に電気を供給、以後も出力を増強しながら銅山の発展を支えました。ちなみに精銅所は、後に古河電気工業が経営、そして同社から富士電機、富士通、古河電池などの企業が設立されたのです。

 昭和に入ると軍需が増大、古河は銅の生産はもちろん、ニッケル製錬や航空機資材などへ事業を拡張させました。一層の電力確保を迫られ、新たな水源を本県の渡良瀬川に求めた結果、神戸発電所の建設となったのです。古河の水力発電所は、戦後も企業の自家発電として、同時に地域のエネルギー源として、役割を担ってきました。廃止された神戸を除く4カ所が今も稼働中で、古河の各事業所、東京電力エナジーパートナーなどに電気を供給しています。

 足尾で始まった渡良瀬川の発電は、本県においても明治以来の長い歴史があります。現役最古の福岡発電所(みどり市)は、大正末期に当時の渡良瀬水電が建設、戦後は東電が運営しています。古河の神戸発電所は廃止されましたが、その直後には県企業局が草木ダムなどで発電を開始、現在に至ります。電気事業の経営体、発電所の位置の変遷を伴いながら、水力発電はずっと続いているのです。

 電気のある暮らしの出発点は発電所で、使用する電気器具とは文字通り電線でつながっています。そして、電気はつくって送って使われるまで、常に銅などの金属が欠かせません。私たちの所に電気が届くまで、どれだけ多くの人々が関わっていることでしょう。電気のつながりに注目することで、さまざまな職場で働く人々のつながりまで見えてくるのです。銅山と渡良瀬川の発電所に思いを寄せながら、現在、電気事業や関連業務に従事している皆さまに感謝したいと思います。



元足尾を語る会会員 坂本寛明 太田市

 【略歴】幼いころ足尾銅山の壮大な世界に魅了され、足尾を語る会などで銅山の歴史を伝える活動を行う。2019年11月に「何かの役に立つ足尾銅山の話」を出版。

2021/05/05掲載