修正を予定する「県域の変遷」の表示

 群馬県庁昭和庁舎にある「県政の歩み展示室」の図で、明治初期の県庁の所在地表示について、県は24日までに、誤解を招きかねないとして一部を修正する方針を明らかにした。第1次と第2次の群馬県の成立当初は共に、一時的に高崎に県庁が置かれたが、表示は「前橋」のみだったためだ。

 修正するのは、廃藩置県後の県域の変化を示す図。第1次群馬県が成立した1871(明治4)年10月(旧暦)~73(明治6)年6月の県域の地図と、第2次群馬県成立の76(明治9)年9月から現在の県域図には、それぞれ「前橋(県庁)」と記されている。

 しかし、県史などでは71年10月28日(旧暦)に太政官布告が出され、県庁は高崎の旧城内に置かれたとされている。その後、同所が兵部省管轄になることが決まり、約7カ月後、前橋へ移転した。

 76年9月の第2次成立時も高崎に県庁が置かれたが、わずか1カ月弱で前橋へ移った。当時は仮庁として移転したものの、約4年半後の81年2月に前橋を県庁とすることが正式に決まった経緯がある。

 県文化振興課は二つの地図内に、高崎を示す丸印から前橋の丸印へ向かう矢印を加える予定。「県庁所在地の変遷を正確に表現できるようにしたい」とする。

 展示室は2011年3月に開設し、他に歴代知事や県政の主な出来事などを年表で紹介している。

 歴史に詳しい群馬地域学研究所の手島仁代表(62)は「廃藩置県後は全国的に県庁の所在地が流動的だった。認識には地域差が生じることがある」と説明。修正する方針には「誤解のない表現になるのは良いと思う」と評価した。