萩原朔太郎の詩でも知られる大渡橋は、利根川の渡し舟もあった交通の要衝である。そこから川を背に500メートルほど東に歩くと、背丈10メートルほどの巨岩が目に飛び込んでくる。「岩神の飛石」である。長らく赤城の産物と考えられてきたが、現在では浅間から流れ着いたとするのが定説だ。

 前橋市民はにわかに信じがたいかもしれないが、前橋の市街地は、実は2万年以上前に浅間山が山体崩壊した際に流れ下った巨大泥流の台地、いわゆる「前橋泥流堆積物」の上に形成されている。遠く西方にあった浅間の古い山体が崩れた時に出た大量の土砂が、吾妻川を下って泥流化し、平野に広がった。それにしても、こうした破滅的な火山災害がもし今日発生したことを想像すると、正直ぞっとする。前橋も伊勢崎も地図から消えてしまうであろう。前橋泥流堆積物の層厚は、厚い所では15メートルを優に超えている。

 同じ浅間山でも、3日にオープンした「やんば天明泥流ミュージアム」は、ずっと新しい1783年の天明噴火に伴う八ツ場周辺の埋没遺構の施設だ。石段が土石流で埋まり、若い女性が年配女性を背負った姿で見つかったことで有名な鎌原観音堂は、浅間山により近い上流の嬬恋村内に位置する遺構である。村人の大半が亡くなった旧暦7月8日には、今でも毎年供養祭が執り行われているという。

 一方、6世紀初頭の古墳時代、榛名山の噴火に伴う火砕流で命を落としたとみられる男性人骨が発掘されたのは、渋川市の金井地区である。彼が鉄製のよろいを身にまとっていたことで全国的にも有名になった。発掘の端緒となった上信自動車道の建設では、遺構保存の観点から、県は構造形式を盛土から橋梁に変更した。群馬のあちこちに火山に由来する地があることを県内外に知らしめる、まさに象徴的なニュースでもあった。

 火山災害で都市が埋まった事例は世界中で枚挙にいとまがないが、最も有名なのはイタリアの古代都市ポンペイだろう。ナポリ近郊のこの都市は西暦79年のベズビオ火山の大噴火により火山灰に埋もれ、一瞬にして何千人もの命が奪われた。それから1700年後に発掘調査が始められるまで、帝政ローマの街並みがそのまま地中に封じこめられていたわけである。遺体部分が腐敗消失してできた空洞に、石こうを流し込んで造った亡きがらの像が、今も地元の博物館に展示されている。火山災害への恐れは、まさに洋の東西を全く問わない。

 自然の摂理の前に人類は無力である。私たちは、生きていると同時に、実は地球に生かされている。素直にそのことに気付けるかどうか。母なる大地の生い立ちは、災害に対する個人の死生観を超えてなお、人類がもっと地球に対して謙虚になれるための、重要なヒントを、私たちに投げ掛けてくれている。



群馬大教授 若井明彦 伊勢崎市上泉町

 【略歴】地盤災害のメカニズム解明と減災対策などを研究。2019年の台風災害では、富岡市の検証委員会委員長を務め、対応策を提案した。群馬大大学院修了。

2021/04/26掲載