登頂を喜ぶ小林さん(右)=提供写真
叔父の小林清さん

 群馬県沼田市出身の世界的な登山家、故・山田昇さんと共に、県山岳連盟隊の一員として1978年9月にヒマラヤ山脈のダウラギリ(ネパール、8167メートル)に挑戦中、雪崩に巻き込まれて亡くなった小林清さん=当時(28)、前橋市=のおい、小林真樹さん(48)=同市=が、キリマンジャロ(タンザニア、5895メートル)の登頂に成功した。登山経験はほとんどないが、清さんの形見を携えて挑み、「叔父の足元くらいには行けたかな」と思いをはせた。

 清さんが亡くなった時、真樹さんは4歳。周囲からは「すごくかわいがられていた」と言われるが、覚えがない。「叔父は、小説の登場人物のような存在だった」。それでも清さんの話を聞いて育ち、憧れを抱いてきた。

 真樹さんは昨年、登頂経験のある知人からキリマンジャロの話を聞き、意欲をかき立てられた。それまでの登山経験は富士山への1回のみ。日ごろの運動もウオーキング程度だったが、「登れる」という自信とやる気が自然にあふれてきたという。5千メートル超という高地であることや、身内が山で亡くなったことから家族は反対したが、意思は固かった。

 挑戦を決めてからは清さんの姿を強く意識するように。山では形見である手袋とサングラスを身に着け、清さんの写真をポケットに入れた。

 現地ガイドらを含め13人で11月に登山。休憩中は清さんの写真を眺め、気持ちを奮い立たせた。山頂のウフルピークへのアタック当日となった同30日、それまでの好天が一変し、吹雪となった。懸命に進むと天候は徐々に回復、無事に山頂にたどり着いた。

 高揚して帰国したが、墓前にはあえて報告しなかった。「もっと高い所まで登ってこいよ」。そう言われる気がしたからだ。

 「挑戦することの大切さを改めて感じた」という真樹さん。今回の登山で、遠い存在だった清さんを近くに感じられ、初めて「叔父と同じ場所に立ちたい」との意欲が芽生えた。次はメラピーク(ネパール、6476メートル)に挑戦しようかと思案中だという。