私が桐生に戻って3年目、東京のアパレル企業でデザイナー職に就いていた彼女を呼び寄せ結婚することになりました。「再建請負人」のつもりで勝手に家業に入った私でしたが、経営改善という点では全く貢献できず、人件費を一人分余計にかけ続けていました。なのに家庭を持とうなんて、今思えばふざけた話です。もともとは井清織物の再建のめどが立った暁には…、という約束でしたが、このままでは一生結婚できないかもしれないと感じ、急きょの予定変更。「一緒に手伝ってほしい」と、助けを求めての情けないプロポーズになりました。

 妻には工場での製織作業を一通り覚えてもらい、私の母や祖母のように男性陣のサポートを中心にお願いしました。しかし結婚5年目、私が突発性難聴になり3週間ほど入院したのをきっかけに、状況は大きく変わりました。

 入院当初は父が私の代わりに動いてくれましたが、既に仕事に対する考えが合わず、毎日大声で親子げんかをしていたほどなのでうまくいくはずがありません。そこで妻が見るに見かねて代役を買って出てくれました。呉服業界では素人同然でしたが経験を生かし、仕事をすぐに覚えました。私が退院した後も展示会などには同席してもらうようになりました。片耳の聴力を失った私は、商談相手の言葉が聞き取れないことがあったのです。

 呉服業界は基本的に男社会で「奥さん」が会社の代表として対応することはまれです。そのため妻が1人で展示会に参加していると「井清は手を抜いている」とご指摘を受けることもありました。しかし、妻が商談に参加した方が成果が出るという事実に気付いたため、私たちのやり方は変えませんでした。新たな取引先のほとんどが私たちと同世代、あるいは女性ということもあり、自然と妻の存在の重要性が高まっていました。それだけでなく、月末の資金繰りや納期の管理など、長年父も私も苦労してきた部分が、妻に主導権を渡してから明らかに改善したのです。

 妻は考えたらすぐに行動に移すタイプで、見えを張ることもしないため、雑音に惑わされることがありません。一方私と父は対立していましたがしょせん似た者同士。周囲の目やプライドが邪魔して行動が後手に回っていました。

 こうして妻はあらゆる部分で井清織物を倒産の危機から何度も救い続けました。織物組合の先輩たちや友人からよく言われました。「お前はどうしようもないのに、嫁はいい!」。本当にその通りでした。妻の活躍のおかげで、私にとっては頭の上がらない状態が今でも続いています。

 しかし当時、いくら改善しても経営的にはどん底が続き、さすがに根本的に何かが間違っていると考えるようになりました。



OLN代表、井清織物代表 井上義浩 桐生市境野町

 【略歴】井清織物4代目。大学進学で上京後、テレビ番組制作などを経て30歳で帰郷し、同社入社。2014年、妻と織物の生活雑貨ブランド「OLN」を立ち上げ。

2021/04/16掲載