▼1941年12月8日、日本陸軍が英領マレー半島・コタバル、海軍がハワイ・真珠湾を奇襲して太平洋戦争は始まった。真珠湾で戦果を挙げたのはゼロ戦などの空襲だったが、魚雷を備えた特殊潜航艇も出撃している

 ▼帰還がほぼ見込めない潜航艇は特別攻撃隊といわれ、5艇の搭乗員計10人のうち9人が対米戦で最初の戦死者に。大本営はその戦果を大々的に発表し、9人を「9軍神」とたたえた

 ▼この中に前橋生まれで、潜航艇攻撃の発案者でもある岩佐直治中佐がいる。享年26。婚約者がいたが、真珠湾攻撃への参加が決まると自ら破談にしたという。決死の覚悟で出撃したのだろう

 ▼搭乗員10人のうち、軍神から1人外れたのが酒巻和男さん(徳島県出身)だった。艇が座礁して初の日本兵捕虜になったためだ。絶望から立ち直ると、収容所では自決しようとする兵士たちの命を救った

 ▼〈捕虜である日本軍人としての(中略)義務は、私達がより立派な正しい人間としての垂範者となる事ではなからうか〉(『捕虜第一号』)。自著にこう記し、復員後は大手自動車会社に職を得て復興に尽くした

 ▼軍神と捕虜。軍人がたどった二つの道は、現代人に命の使い方を問いかける。アジア・太平洋で戦域は広がり、市民を巻き込んで多くの命が奪われた。開戦から74年。戦争の罪について考えたい。