▼利根川右岸に引かれた群馬・埼玉県境から南に約1キロ。近代日本資本主義の父と言われる渋沢栄一(1840~1931年)の出身地、深谷市北部にその功績を伝える記念館がある

 ▼裏に回ると、高さ4メートルの渋沢の銅像があえて来館者に背を向ける形で北を向いて立っている。その理由は、子どものころから親しんでいた赤城をはじめ、上州の山並みを眺めているためだという

 ▼実業家として500以上の企業の開設・経営にかかわり、近代産業の礎を築いたことで知られる。だが養蚕農家の生まれであり、若い日には大蔵省の設置主任として富岡製糸場創設を主導している

 ▼像の視線の先に広がる伊勢崎、太田、深谷市一帯への遷都を外務大臣の井上馨らが1886(明治19)年に建議したことがある。井上の右腕だった渋沢もこの構想にからんでいたのかもしれない

 ▼財政事情から遷都案は幻に終わった。時代は移り、NPOが本県と深谷、本庄市などを結ぶ「上武絹の道」という概念を打ち出し、広域観光に結びつける地域ストーリーづくりを進めている(5日付本紙)

 ▼あす11日は渋沢の命日。その理念は単なる利益追求でなく、『論語』が説く忠恕(ちゅうじょ)(思いやり)を基本に日本経済全体の発展を考えていた。かつて日本をけん引したこの地域が、再び絹で活気づくことを喜んでいるに違いない。