▼烏川を挟んで高崎市役所や国立病院機構高崎総合医療センターの対岸(同市片岡地区)にかつて飛行場があった

 ▼「新編高崎市史」によると、飛行場の設置は1932年に高崎商工会議所関係者らが強く望んだことがきっかけ。航空時代到来をいち早く察知し、交通の要衝にある高崎を経済的にさらに発展させようという狙いがあったとみられる

 ▼33年には、高崎市長を代表者とする高崎航空普及会が発足。軍から練兵場の一部を借り受けて飛行場を造成し、同年11月には専属パイロットらが操縦する飛行機2機が高崎上空を飛んでいる

 ▼今夏、居住地の高崎市から渋川市の実家に帰省し、同飛行場をめぐって85歳の父と初めて話した。父は44年8月に旧群馬郡内で選抜された13、14歳の子どもたち約40人と同飛行場でグライダー訓練に参加させられていた。白郷井村(現渋川市子持地区)の親元を離れ、飛行場に比較的近い小学校に寝泊まりしながら1カ月にわたって訓練を重ねたという

 ▼戦時下のパイロット養成教育の一環だったのだろうが、厳しい教官と粗末な食事にげっそり痩せたといい「あんな経験はもうしたくないし、若い世代にも絶対させたくない」と唇をかみしめた

 ▼戦時中のことをこれまであまり語ってこなかった父。戦後70年の節目の年に不戦の誓いを新たにする一日となった。