明和県央―市尼崎 第2セット、得点を挙げ選手を鼓舞する県央の新井主将
健大高崎―東京都市大塩尻 第2セット、好レシーブを見せる健大の田村

  バレーボールの全日本高校選手権(春高バレー)が5日、東京体育館で開幕、男女1回戦が行われ、群馬県代表で男子の明和県央(6年ぶり2度目出場)は0―2で市尼崎(兵庫、23年連続34度目出場)に、女子の健大高崎(6年ぶり5度目出場)は0―2で東京都市大塩尻(長野、4年連続9度目出場)にそれぞれ敗れた。

 【男子】▽1回戦

市尼崎
(兵庫)
2   25―17   0 明和県央
25―16

 

 【女子】▽1回戦

東京都市大塩尻
(長野)
2   25―16   0 健大高崎
25―19

 

明和県央―市尼崎 第1セット、県央の堤が力強いスパイクを決める=東京体育館

 

下級生成長へ経験積む 明和県央 

 明和県央は3年生アウトサイドヒッターの堤巧光を軸に攻撃を組み立てたものの、前回大会4強で全国常連の市尼崎の壁は高かった。エースを封じる的確なブロックと細かく変化する攻撃に押された。下級生主体のチームは、この経験を県新人大会から生かす。

 主力にけがなどがあり、1年生オポジットの岩田琉斗と2年生ミドルブロッカーの川浦睦生を先発で起用。レシーブ力や周りを盛り上げる力を見込んだ。昨夏の全国高校総体(インターハイ)で試合に出場した川浦、初の大舞台に臨んだ岩田の2人が懸命に戦えたのは収穫だ。「緊張はやむを得ない。成長につなげてほしい」と山本圭一監督は期待した。

 高崎箕郷中出身のセッター佐藤碧海とミドルブロッカー平沢唯の2年生2人が速攻で流れを変える場面もあった。佐藤は「レシーブが崩れた展開の連係も想定して練習していく。相手はそこがうまかった」とし、平沢も「市尼崎は速攻でトスの位置を横にずらしたり工夫があった」と学んだ。

 エースとして下級生から奮闘した堤は大学でも競技を続ける。「まだ力不足。ブロックを打ち抜けないと。全国で勝つため体づくりからやり直す」。大学日本一を目指してこちらも再出発だ。それぞれの場所で戦いは続く。

同級3人で成長 新井主将

 高校の集大成を見せるようにサーブレシーブ、トス、スパイクとあらゆるプレーを出し切った。試合開始と同時に全開で迫ってきた全国常連との差を感じ、押し負けた悔しさは残ったが、入学時からともに過ごした堤巧光、更科翼の3年生3人が欠けることなく、最後まで戦いきれたことに満足感はある。

 同学年の少なさもあってオポジット、アウトサイドヒッター、セッターと複数のポジションを回った。そのたびに覚えることは多く、きつくなかったといえばうそになる。下級生の多いチームでまとめ役の主将を任されることに重圧を感じた時期もあった。

 それでも「バレーにはみんな真面目で誰も手を抜かなかった。この3人だから成長できた。後輩にも助けられてここまで来られた」と感謝した。

健大高崎―東京都市大塩尻 第2セット、健大の遠藤がスパイクを決める=東京体育館

高さ生かし切れず 健大高崎

 下級生主体の健大高崎は第1、第2セットとも立ち上がりは互角の攻防ながら中盤以降に後手を踏んだ。サーブレシーブと2段トスが乱れ、アウトサイドヒッターの遠藤葵と竹内優生、ミドルブロッカーの高草木音羽ら2年生の高さを生かし切れず惜敗した。

 戦術の幅は感じさせた。先発起用の1年生セッター慶野日和は思い切りの良いレフト攻撃で押し、2年生セッターの石川小蒔は高草木のセンター攻撃で打開とそれぞれの色を出せた。春高初陣の佐々木雄司監督は「まだ若いチーム。連係が合わないときの技術などをさらに高めたい」と話した。

 まとめ役の3年生への恩返しの舞台に下級生は全力を尽くした。二枚看板の竹内は家族のように過ごした時間を感謝しつつ、「軟打をまぜたり、もう少し工夫できた」、遠藤も「速さで勝負したかった。ブロックアウトでもっと取れたら」と来季の課題を挙げた。

 ゲーム主将の永井琳子は田村玲奈主将と2人で下級生がやりやすい雰囲気を生んだ。1年生オポジットで妹の亜子と姉妹出場を果たし、「それを目標に2人で同じ学校に進んだのでうれしい。次はもっと上に行ってほしい」と期待した。 

緊張の後輩鼓舞 田村主将

 第2セット16―23。追い込まれ、ガチガチになっている下級生たちをコート中央に呼び集めた。「何びびってんだ。やることやってこい」。146センチのリベロのげきに選手の顔が引き締まり、そこから連続得点で食い下がった。「やるべきこと」を積み上げた主将の言葉は最後まで説得力があった。

中学3年の12月に左膝の前十字靱帯(じんたい)を断裂。高校1年の冬の県新人大会で公式戦に復帰したものの、2年春に半月板の損傷が発覚した。それでも3年時の春 高に間に合わせようと、取り組める範囲での練習とリハビリ、通院の日々を過ごした。

 「けがをしても諦めなければ春高にだって立てると、後輩たちに残せた」と試合後、振り返った。春からは専門学校に進んで本格的な競技からは引退する。コーチとして母校の練習を手伝い、全国8強の夢をつなぎたいという。