▼赤やオレンジの鮮やかな色彩。丸や四角が細密、ときに大胆に配置された幾何学的な画面構成。桐生市を歩くと図書館や大川美術館などでふいにオノサト・トシノブの作品と出合う

 ▼1912年、長野県飯田市生まれ。教師だった父の転勤に伴い、10歳で桐生に移り住んだ。出征、シベリア抑留を経て、美術教師、養鶏業を営みながら桐生で独自の画境を切り開いた

 ▼具象から出発し、次第に抽象、円と直線の絵画へと変化した。60年以降は円の内部を分割し、さまざまな色を配する画風を確立。64年、66年のベネチア・ビエンナーレに日本代表として出品し、高い評価を得た

 ▼昨年は戦後初の公選市長、前原一治邸で保管されていた未公開の作品が発見され、話題となった。遺族が東日本大震災で崩れた屋根瓦を修理するため内蔵を整理していたところ、偶然見つけたという

 ▼縦16センチ、横23センチの小品で、円や四角、線がフリーハンドで描かれている。独自の画風を確立する微妙な時期に描かれ、人間的な手わざの痕跡、力強さを感じさせる貴重な作品だ

 ▼前原市長は、日本一の生産額を誇った「日本絹撚」の創立者、前原悠一郎の長男。4期を務め、戦後復興や文化振興に尽くした。桐生の立役者がオノサト芸術が開花する転換期の作品を所有していたことも、織都の物語に花を添えている。