▼旧群馬町出身で名誉県民の歌人、土屋文明の『万葉集上野国歌私注』(煥乎堂)が出版されたのは、戦争が激しさを増していた1944年9月のこと

 ▼20巻に及ぶ日本最古の歌集『万葉集』の巻14には古代東国の東歌が収められている。そのなかに「上野国歌」は25首あり、国別では飛び抜けて多い。上野国が東国の中心であり、いかに文化が盛んであったかを表す一例だろう

 ▼万葉研究に打ち込んできた文明は自序で〈万葉集を尊ぶ心〉を強調し、こう書いた。〈上野国人として上野国歌の正しい理解に到達したいといふ願ねがいを常に持ちつづけて居る〉

 ▼思い入れの強さは、味わい深い注釈からも伝わってくる。〈吾が恋はまさかも悲し草枕多胡の入野のおくも悲しも〉の大意を〈私のこひしく思ふ心は今の現在も悲しいし、ずつとさきのさきも悲しいことです〉と表現した

 ▼県立土屋文明記念文学館の企画展「歌の古代を探る-万葉集・土屋文明・東国文化」の展示を見て、万葉の歌が今日も広く受け入れられている理由を示す文明の こんな言葉を思い出した

 ▼〈物の感じ方、見方が、(略)のびのびと自由に、いわゆる「自然」のままに近い状態で、あらわされている〉(「万葉集の何が現代につながるか」)。現代人と〈本質的な深いつながり〉があるという一首一首を、久しぶりに読み返したくなった。