▼江戸幕府を開いた徳川家康の直臣、大久保彦左衛門の手になる『三河物語』によりながら、作家の司馬遼太郎さんが書いたエッセーに『上州徳川郷』がある

 ▼作家は、徳川家遠祖の地は上州徳川郷(現太田市)であるという家系伝説を利用したり、新田源氏の流れをくむ一族と主張して家康が征夷(せい い)大将軍に上り詰めた経緯を書いている

 ▼『三河物語』によると、徳川家の先祖は新田義貞に従って新田郡徳河郷にいた。義貞が足利尊氏に敗れると、歴代の祖先は各地を流浪。後裔(こうえい)である徳阿弥(とくあみ)が西三河(現愛知県)の土豪の家に婿入りして当主となり、これが後に徳川氏と改める松平氏の始祖としている

 ▼「合理主義者の家康は徳阿弥伝説などは信じていなかったであろうが、しかし天才的政治家の考えかたというものは、利用できるものはなんでも利用するというところにあるであろう」。司馬さんはそう記す

 ▼家康が波乱の生涯を閉じたのは元和2(1616)年4月17日。きょうは四百回忌となる。ゆかりの地、静岡県では商工会議所などが「家康公400年祭」と銘打って各種の事業に取り組むなど、各地で顕彰事業が行われている

 ▼エッセーにもあるように、尾島地区の徳川郷は「徳川発祥の地」として幕府の手厚い庇護(ひご)を受けた。太田市内には幕府の威光を示す史跡がいまも数多く残る。