▼〈なさけは人のためならず、という。われわれ中年者には、まことにありふれたことわざが、今どきの若い人びとには、まるで違って受けとられているということを知って、驚いたことがあった〉

 ▼慶応大教授で国文学者として知られた池田弥三郎が50代半ばの1970年に発表した随筆『ことわざ異説』の冒頭だ。大学生が〈なさけをかけることは、その人のためにならない〉と解釈したのだという

 ▼池田が祖母から聞いた解釈は〈人になさけをほどこすことは、その人のためになるのではない。それはやがてみんな自分の方へもどってくるものなのだ。人に恩をほどこすことは、とりもなおさず、自分の得になることなのだ〉

 ▼だが、池田は大学生の解釈が間違いではなく、解釈の違いであるとして、こう述べる。〈形の小さい文句であることわざは、そのために意味内容が動揺し、そのために、受けとる側の哲学を持ちこむことができる〉

 ▼「チンする」や「サボる」などの言い方が定着したことを浮き彫りにした文化庁の国語に関する世論調査。「世間を渡ってずる賢くなっている」の意味の慣用句「世間ずれ」を「世の中の考えから外れている」と理解する若者が多いことが分かった

 ▼〈受けとる側の哲学〉が持ちこまれた結果なのか。「世間ずれ」とは無縁の若者が多い証しなのだろうか。