作家の野坂昭如さんは締め切りに追われているときに限ってけがをした。初の書き下ろし長編は筆が進まず、編集者に催促される中、右手の小指を骨折する。交通事故に巻き込まれたり捻挫したりもした
▼苦労した上に遠出する仕事はキャンセルされ、酒も飲めない。結果的には執筆に集中するしかない環境が幸いした。この経験から試験前に体調を崩す子どもに同情し、自らも〈怪我(けが)することを潜在的にのぞんでいるのではないか〉(『風来めがね』)と書いている
▼磊落(らいらく)な野坂さんのようにけがや病気を望む人はいまい。ただ締め切り同様、試験と感染のプレッシャーに追い立てられている受験生がほとんどだろう。大学入学共通テストはきょう初日。県内は8千人余りが志願した
▼昨年に続くコロナ下だ。国は濃厚接触者の受験を認め、さらに受験できなくても個別試験で合否判定するよう大学に異例の救済策を要請した。本番目前のルール変更に課題はあろうが、それほどオミクロン株は予想を超えた速さで拡大した
▼県内もあっという間に陽性者が3桁になり、複数の高校でクラスターが発生した。共通テストが終われば私大の入試が本格化し、国公立へと続く。気の抜けない日々に受験生の重圧はどれほどか
▼願わくは、全員にサクラ咲く春を迎えてほしい。けがの功名で締め切りを乗り切った野坂さんのように、解放感は格別に違いない。