▼司馬遼太郎さんの長編小説『翔ぶが如く』の「はじめに」で、若き日の西郷隆盛の逸話が紹介されている

 ▼台風で垣根まで増水し、そこを鼻緒の赤い下駄が流れていくのを見た西郷はおどけて「下駄さア、こんぅ風ぜぇ、どこずい、おじゃすか」と鼻緒に話しかけたという。「おじゃすか」は「いらっしゃいますか」という意味だ

 ▼薩摩弁のおおらかな言い回しが心地よい。司馬さんは〈こういう優しさとユーモアは当時の薩摩人に大なり小なり共通していた〉ととらえ、こう自戒した。〈この機微がわからなければ、うかつに薩摩のことは書けない〉
 
 ▼県立女子大学の学生たちが今春から、古い養蚕農家が残されている中之条町六合地域で方言調査を行っていたときのこと。聞き取りが一段落すると、かつて養蚕に携わったお年寄りがこう言った。「ああ~ゆさんだ、おこさんさんあがりのようだ」

 ▼「ゆさんだ」は、「落ち着く」「のんびりする」、「おこ(蚕)さんあがり」は、蚕が繭を作るために蔟(まぶし)に入り、養蚕の作業が一区切りついたときのことを表すという

 ▼これを聞いた学生は、蚕との生活のなかで育まれた独特の言葉が、養蚕をやめても自然に使われていることに衝撃を受けたという(「六合のことばで学ぶ 六合のこと 絹文化のこと」)。暮らしの機微をうがつ養蚕言葉の豊かさをあらためて思う。