▼しばらくご無沙汰していた東京の友人から年末に年賀欠礼のはがきが届いて以来、気になっていたが、先日ようやく弔問できた

 ▼友人の母はあと少しで100歳という大往生。70代の時、尊敬する人にならい、献体登録をしていた。遺族として献体に同意するか。話し合い、思い悩んだ末、「本人の望みをかなえてやりたい」と決断した

 ▼3カ月が過ぎ、遺骨がないことにも慣れつつある。それでも思い出しては涙が出るという。歌手のさだまさしさんの小説『眉山』で、母の献体登録に驚き、葛藤する主人公がだぶる

 ▼死後の自分を、無条件・無報酬で医学生の教育、研究にささげる。登録者は日本人の死生観を反映してか増加の一途。群馬大では、1000人を超え、希望者が多く、登録まで4年待ちの状況という。献体が医学教育に貢献していることは疑う余地もないが、いざ自分に置き換えたら、受け入れることができるのか、と考えてみる

 ▼季節は春分を過ぎ、七十二候なら「桜始開さくらはじめてひらく」。前橋の桜もほころび始め、桜の歩調が時候にぴたりとはまる

 ▼〈桜の樹の下には屍体(したい)が埋まっている!〉見事に咲く桜をこう表現した梶井基次郎の檸檬忌(24日)を挟み、「涅槃会(ねはんえ)」「灌仏会(かんぶつえ)」「施餓鬼会(せがきえ)」と年中行事が連なる桜の季節、信仰心の薄い者にさえ、自然に生と死を連想させてくれる。