▼「前例のないことに保守的な日本で、あえて恐ろしいようなパイオニアとなる試み」―。9日に83歳で亡くなった岩波ホール総支配人、高野悦子さんの言葉が忘れられない

 ▼1994年10月、県庁で開かれた県人口200万人記念映画『眠る男』の第1回製作委員会。冒頭で委員の一人として、行政が製作費を支出するプロジェクトを評価し、こう述べた

 ▼「何年もたった後、あの日がすごい日だったと思い出すときが来ると確信している。歴史的なことに立ち会えたことに感謝します」。自身が〈おそろしいようなパイオニア〉となってきたからこその発言だろう

 ▼東宝に勤めた後、映画監督を夢見て、29歳でパリに留学する。しかし監督への道は開けず、1968年、岩波ホール創設に伴い総支配人に。世界の埋もれた名画の発掘・上映を始めた

 ▼〈興行の専門家が商売としておぼつかないと投げ出した作品を、あえて素人がとりあげて、長期ロードショーをしよう〉(『心にひびく映画』)という運動は、周囲からすぐに挫折すると言われた。が、〈よいものは、かならずわかってもらえる〉との信念が多くの人の心をつかんだ

 ▼『眠る男』は96年、同館で半年間上映され、当時のロングラン・興行収入記録を塗り替えた。前例のないことに挑戦し続けた高野さんの映画への愛情の深さをあらためて思う。