テキスタイルデザインを学ぶため大学に進学したのは2011年です。東日本大震災の約半月後。自粛ムードの中で行われた入学式で、「ものを作るために大学に入ったけど、ものなんて作っていいのだろうか」と考えていました。その疑問は、ボランティアで宮城県石巻市を訪れ、砂浜に広がるがれきの山を目の当たりにした時にも強まりました。ものは世の中にあふれている。それでもものづくりをする意味とは何だろう―と。

 2年になると、米国の学生と未来の日本の工芸について考え、デザインする特別授業がありました。今思うと、この授業が機屋に入る最初のきっかけでした。

 授業は3カ月のコースで、最初の2週間はリサーチとして米国の学生と共に日本各地の伝統工芸の産地を回り、得たことをヒントに一緒にデザインをするという内容でした。南部鉄器や漆工芸、酒蔵、養蚕、絞り染め、手織りの工房など、東北を中心にさまざまな地域を訪れました。

 伝統工芸は周りの自然環境との結びつきの中で生まれます。都市部の忙しいスピードの中で構築されるデザインとは対照的に、ゆったりとした自然界の時間軸に寄り添って少しずつ丁寧に手仕事で構築されているその生業に衝撃を受けました。衰退気味で苦労しているにもかかわらず、皆さん穏やかで優しさにあふれていたからです。土地を愛し敬いながら続けられている職人さんたちのものづくりの美しさは、脳裏に焼き付いて離れなくなりました。

 忘れられない言葉があります。絞り染めの工房を運営している社長さんと話していた時のことです。工房には昔の職人さんたちの絞り染め見本がたくさん飾られており、中にはもう技術者がいなくなりできなくなってしまった技術のサンプルがいくつもありました。私が「もうできないなんて悲しいですね」と言うと、社長さんは笑いながらこう返しました。「できないんじゃなくて、やらないだけなんですよ。やれば大抵のことはまたできるもんです」

 リサーチの後、東京に戻って製品デザインに取り組んでも、頭の中にはずっと地方でものづくりをする職人さんの姿がありました。デザインや設計を東京で行うとしても、結局ものづくりの多くは地方の人たちが行います。それにもかかわらず日本では今、大工や服を縫える人、野菜を作れる人が減るなど、衣食住全ての分野の技術者がほとんどいなくなろうとしています。

 そうだとしたら、少しでもその動きを見直す活動の一部になりたいのです。ものを作ることがこの時代にとって正しいことなのか分からない時がいまだにあります。けれど実際にものを作る産業には優しさがあふれていて、自然界と共存できる手段がまだあるのだとしたら、その可能性を探りたいと考えます。

 【略歴】国内外の大学でテキスタイルを学び、桐生市の織物メーカー、桐生整染商事に入社。シルクに特化した自社ブランドを立ち上げた。川崎市出身。多摩美術大卒。

2022/1/23掲載