▼〈箇程(かほど)の技倆を有(も)ちながら空しく埋もれ、名を発せず世を経るものもある事か〉
  
 ▼江戸・谷中感応寺の五重塔を建立した大工職人を描く幸田露伴の『五重塔』の序盤、不遇だったこの職人の手による建物模型を見た上人の感慨である。職人技が正当に評価されない世間の趨勢に対する露伴の批判がそこにある

 ▼埼玉県熊谷市妻沼の歓喜院聖天堂(かんぎいんしょうでんどう)が今年7月、国宝に指定された。その彫刻を手掛けた職人のなかに、花輪村(現みどり市東町)を中心とする技術者集団の指導者らがいた

 ▼『蘇る「聖天山本殿」と上州彫物師たちの足跡』(阿部修治著、さきたま出版会)によれば、奥殿の彫刻棟梁は同村出身の石原吟八郎が務めた。しかし発病に伴い、門人で、同村に接する上田沢村(現桐生市黒保根町)出身の関口文次郎が代行となった。その後、文次郎は拝殿の彫刻棟梁の大任を果たす

 ▼吟八郎は「黒川郷彫物師集団」、文次郎は「上田沢村彫物師集団」の祖として、技術を継承し、関東一円に多くの優れた彫刻を残した

 ▼なぜ、この地から次々と卓越した技術者が誕生したのか。同書は日光東照宮の修営や江戸城の彫刻を担当した公儀彫物師、高松又八が花輪村出身だったことを挙げ、〈彫物師群を育て上げた第一級の功労者〉とする。触れられることが少ない職人たちの仕事にもっと光を当てたい。