▼明治、大正時代に叙情画家として一世を
▼伊香保や榛名をこよなく愛し、何度も訪れたというから、なじみの芸者がいたのだろうか。多くの文人が通った温泉街のにぎわいは、芸者衆に支えられてきたと言える
▼最盛期の昭和30年代、150人の芸者衆を抱えていた伊香保。「子どもの頃、母は夕方からお座敷に出掛けました。三つほど掛け持ちし、帰りは午前1時か2時。それが年間360日くらいでした」
▼置き屋のまりやさんは華やぎし頃を振り返る。景気の低迷や宴会専門の派遣業者の台頭など、時代の波に押されて
▼厳しい中でも、気軽にお座敷を楽しめる体験プランを始めるなど、もう1軒の置き屋のみのるさんと活路を求め試行錯誤してきた。その伝統がかつてない危機に直面している。お座敷の予約は軒並みキャンセル。芸者衆の収入は絶たれた
▼この先も、マスクの着用や返杯を避けるなど接待の在り方は見直さざるを得ない。「粋の世界なのにね」。芸者の一人は寂しそうにつぶやいた。守るために変える―。芸者衆は苦悩しながら道を探っている。