35年前、初めて赤ちゃんを授かった時のことをよく覚えています。出産までの間、育児の本を読んだり、他の赤ちゃんを見て「あんなふうに笑うのだろう」と想像したりしていました。

 雪が降る日の未明、赤ちゃんは「あー」とか細い産声を上げました。翌日には医院の個室で一緒に過ごすことができましたが、母乳を吸えず哺乳瓶のミルクを飲むのに時間がかかり不安になりました。赤ちゃんはかわいいはずと自分に言い聞かせ、抱っこしたり話し掛けたりしながら、母になったことを感じようとしていました。

 退院の2カ月後、県立小児医療センターで院長から「ダウン症」と告知されました。知的に遅れること。発達するのがゆっくりであること。しかし手をかけてあげれば発達すること。丁寧な説明があり、地域の保健師と会うよう促されました。ダウン症? 障がい? 発達がゆっくりなだけで、いずれ追いつくの? 告知をどう理解したらいいのか考えながら帰りました。

 帰宅後、保健師に連絡し、その日のうちに訪問してもらいました。赤ちゃんに障がいがあると言われとても不安でしたが、この人にならば全て話してもいいと思えました。親の会のことや子どもにできることを教えてほしいと伝えたものの、当時地元に親の会はなく、唯一、手足の屈伸運動を教えてもらいました。ダウン症という障がいのことが知りたくて、先輩のお母さんと会いたいと希望しました。

 その夜、夫とこれからのことを話し合いました。医師の「発達はゆっくりだけど手をかければ必ず育つ」という言葉を信じて、期待はしないけれど希望を持って育てよう、本人にとってつらいことがあるかもしれないけれど、その分喜びを感じられる子にしようと決意し、これが夫婦の目標になりました。

 それからは障がいがあっても必ず発達すると信じ、おむつを替えるたびに教えてもらった手足の屈伸運動をして、母の顔をしっかり見て笑顔で答えてくれる赤ちゃんにしようと思いました。前向きに子育てに励んでいても、障がいがあるという言葉がつらくて赤ちゃんが寝ている時は涙がこぼれる日がしばらく続きました。つらさを涙に変え、少しずつ障がいのある子の母として生きる覚悟を決めていくことができました。

 子どもに障がいがあると分かったとき、医師の言葉は親に大きな影響を与えます。障がいを受け入れ一歩を踏み出せるかどうか、「告知」のされ方はとても重要な要素です。また、保健師の関わりは社会とのつながりを保ち、孤立しそうな子育てを支える役割があります。親は子どもの障がいを正しく知る必要があります。保健師には子どもに向き合おうとする親の伴走者であってほしいと願います。

 【略歴】1988年にダウン症親の会を発足し、会長に就任。2001年から相談員として活動。子育てに関する勉強会や発達に応じた遊びの指導などを行っている。

2022/1/29掲載