何かが不十分であったり、何かが不確かであったりすることは、むしろ生産的である。なぜならその状況は、協力的な営みを誘発するからだ。

 これは、米国の著名な国際政治学者オラン・ヤングによる指摘です。30年ほど前のものですが、色あせることのない至言だと思います。彼は、国家間交渉の成否を、各国の利害状況からただ単に予測したり、説明したりする議論に警鐘を鳴らし、実際の交渉過程をじっくりと観察することの大切さを強調しました。

 ヤングが捉えた国家間交渉の本質は「協力」か「対立」かという二分法では割り切れない世界にあります。合意に至らないからといって、その交渉は対立しているのではありません。それは、賛同し得ない部分を明らかにするという点で生産的な試みなのです。一致できない部分を認識するからこそ、各国は継続した話し合いを求めます。その姿勢はやがて国際的な協力体制の構築へとつながります。冒頭の言葉にはそんな思いが込められているのです。

 ヤングの議論を紹介しながら私がここで指摘したいことは、国際的な出来事について語る際の「言葉の貧困」とでも言える状況です。国際関係の分野で考えると、昨年は「対立の一年」とも呼べる年でした。それもそのはず、多くのメディアや著名人らが「対立」や「分断」といった言葉で国際社会の現実を描いていました。

 その最たる例は、新型コロナウイルスを巡る各国の対応であり、国連気候変動枠組条約の第26回締約国会議(COP26)における先進国と発展途上国・新興国との交渉、そして米中関係に関わるさまざまな出来事です。そこでは対立という言葉やそれを想起させる表現が繰り返し使われました。

 しかし、国際社会はそれほどまでに対立的な状況にあるでしょうか。私は違うと考えます。対立という言葉では言い尽くせない事柄がまだたくさんあると思うのです。

 世界保健機関(WHO)が特定の地域だけに限らず、全世界に向けて「公平な医療」の重要性を発信し始めたことは大きな進展です。中国とインドがCOP26の終盤で合意案に異を投じたことは、対立の顕在化とも言えるかもしれませんが、その異論を排除しなかった会議体の交渉力にこそ、私は国際協調の持続的な可能性を感じます。

 米中関係については改めて述べたいと思いますが、中国と関係国との間には、重層的かつ複合的で前向きなつながりが数多く存在します。それらの意義を見いだすことは、新冷戦と揶揄(やゆ)される時代にこそ必要です。

 国際社会の姿をどう見せるかは、言論に関わる者の重要な責務です。協力・対立の二分法にとらわれない、国際社会についての言葉を発信していきたいと考えます。

 【略歴】専門は国際協力学。外務省研究調査員などを経て2016年、前橋国際大に着任。著書に「群馬で学ぶ多文化共生」。福島県出身。東京大大学院博士課程修了。

2022/2/12掲載