「あさま山荘事件」から50年となるのを前に、顕彰碑に献花する警視庁の高山警備1課長=15日午後、長野県軽井沢町

 連合赤軍による「あさま山荘事件」発生から19日で50年となるのを前に、2人が殉職した警視庁警備部の高山祐輔警備1課長(44)が15日、長野県軽井沢町の現場近くにある顕彰碑「治安の礎」に献花した。「2人の遺志はわれわれ後輩がしっかり受け継ぎ、国民の安全のため力を尽くしていきたい」と述べた。

 事件は1972年2月19日発生。連合赤軍のメンバー5人が山荘の管理人の妻を人質にして籠城した。同28日に警察が強行突入した際、警視庁第2機動隊長の内田尚孝警視=当時(47)=と特科車両隊本部の高見繁光警部=同(42)=が撃たれて死亡した。

 民間人1人も銃撃され死亡しており、高山課長は「痛恨の事態」とした上で「寒さの中、命懸けで任務に当たった機動隊員の苦労を思うと胸が痛む」と思いをはせた。

 事件後、立てこもり事件に対応する特殊部隊も整備され「テロなど不特定多数を狙う事件の手口は絶えず変化しており、万全の準備をしていきたい」と話した。

 顕彰碑は事件翌年に建てられた。

警察突入「人質確保!」 当時の肉声公開

 「人質確保!」「生命異常なし!」。連合赤軍メンバー5人が1972年2月、人質を取って長野県軽井沢町のあさま山荘に立てこもった事件の発生から19日で50年。共同通信は警察が突入した後の現場近くの音声を入手した。警視庁広報課長として現地入りしていた国松孝次元警察庁長官(84)から提供を受けた。

 音声は約50秒。動画投稿サイトのユーチューブで公開している。周囲でざわつく記者とみられる声も記録され、半世紀前の事件の緊迫感が伝わる。

 当時は国松さんが人質救出の第一報を叫んで知らせ、テレビやラジオ局がその声を報じた。千人を超える報道陣が駆け付けており、国松さんは山荘近くや軽井沢署の当時の庁舎で報道対応に当たっていた。

 国松さんは「あれだけの数のメディアが集まった事件は長い警察人生でも経験がない。過激派の活動の終焉(しゅうえん)を印象づけた事件だと思う」と振り返った。

 事件は72年2月19日に発生。連合赤軍メンバーの男5人が河合楽器保養所の山荘で管理人の妻を人質に取り、10日間立てこもった。警察は28日に強行突入し、人質を救出、5人を逮捕したが、警察官ら3人が銃撃され死亡した。