▼学生時代、夢中になったのは麻雀だった。当時のバイブルは阿佐田哲也の『麻雀放浪記』。主人公「坊や哲」をはじめ、ドサ健、上州虎といった一癖も二癖もある男たちが闘う姿にしびれた。無頼を気取って雀荘を訪ね、見知らぬ人と卓を囲んだ

 ▼無頼という言葉が今も残るのは文学者の世界だろうか。無頼派の代表と言えば坂口安吾。〈戦争に負けたから堕(お)ちるのではないのだ。人間だから堕ちるのであり、生きてゐるから堕ちるだけだ〉。終戦直後に発表した『堕落論』は国土荒廃と価値観の崩壊に直面した日本人に衝撃を与えた

 ▼本名は炳五(へいご)。炳には光り輝くという意味がある。中学2年のとき、勉強しない炳五に漢文の教師が言った。「炳五という名はもったいない。自己に暗いやつだから暗吾と名乗れ」。それが筆名の由来となった

 ▼国税局との税金闘争、自転車振興会を告発した競輪不正事件、薬物による精神錯乱など常に騒動の渦中にあった。暮らしぶりは妻・三千代の『クラクラ日記』に詳しい

 ▼騒動から逃れるようにたどり着いたのが桐生だった。近隣の古墳を訪ね、ゴルフに挑戦した。暴れて桐生署の留置場に入ったりもしたが、長男・綱男が誕生するなど充実した日々だった

 ▼脳出血で倒れ、ここが終焉(しゅうえん)の地となった。地元有志は桐生での3年間を比叡山の千日回峰行になぞらえ、「千日往還の碑」を建てた。享年48。きょうは安吾忌である。