伊勢崎市内の民家で見つかった群馬社の写真の絵はがき

 昭和の組合製糸「群馬社」の本社を含む四つの工場を写した写真の絵はがき12枚が、群馬県伊勢崎市内の民家で見つかった。一部のはがきの表面には「十周年記念」と書かれた丸い判が押してあり、創立10周年を記念して作られたとみられる。工場内の操業風景もあり、当時の群馬社の様子を知ることのできる貴重な資料といえそうだ。

 絵はがきが見つかったのは同市今泉町の小林茂宣さん(72)宅。茂宣さんの祖父、多一郎(1889~1949年)は大正から昭和初期にかけて同市で蚕種業を営み、養蚕を指導する講習所も運営していた。茂宣さんが築約150年の自宅を整理中に絵はがきを見つけた。

 写真は本社、東毛工場、沼田工場、安中工場それぞれの全景や遠景、繰糸工場と再繰工場の作業風景の計6種類。表面に押された判は「十周年記念」「群馬社」の文字とともに「11/4/5」と記され、36(昭和11)年4月5日に記念行事が行われた可能性がある。

 群馬社は第1次世界大戦後の恐慌による糸価下落などで国内蚕糸業が苦境に陥る中、県の後押しで27年、元総社村(現前橋市元総社町)に創建。原富岡製糸所長の大久保佐一が兼務で初代社長に就いた。29年に東毛工場、30年に沼田工場と安中工場を操業した。

 多一郎と大久保は親しい間柄だったらしく、30年には一緒に静岡へ視察旅行に出掛けている。だが、大久保は繭売買を巡る一部組合員の告発から天皇の訪問が取りやめになった事態の責任を取り、34年に自死。35年に早川直瀬が2代目社長に就任した。

 任期は不明だが、多一郎は群馬社評議員を務めており、こうした関係から10周年記念の絵はがきを受け取っていたとみられる。本社全景や繰糸工場の写真は3代目社長の後閑祐次の評伝などにも掲載されている。

 県内の蚕糸業史に詳しい共愛学園前橋国際大名誉教授の宮崎俊弥さんは「多一郎は有力蚕種家として、群馬社でも発言力があったのではないか。内部の操業風景など、記念の写真がまとまって見つかったのは大変貴重」と評価している。