▼〈雪は降り積んだままである。少林山の雪景は白と黒の二色だ。ところが東京ではこれに赤が加わって、黒、白、赤の三色となった、青年将校達が、大臣や軍部の高官を暗殺したのである〉。建築家ブルーノ・タウトは日記にこう記している
▼1936年2月26日、陸軍の青年将校らが約1400人の部隊を率いて首相官邸などを襲った。後に軍部の台頭を招いた二・二六事件である
▼事件は多くの人に強烈な記憶を残した。五代目柳家小さんは、わけの分からないまま反乱軍に属していた。立てこもりの最中、下士官の命令で落語「子ほめ」をやったが、始めから終わりまで誰一人笑わなかった
▼カトリック修道女で教育者の渡辺和子さんは当時9歳。軍人の父錠太郎が撃たれる一部始終をわずか1メートル離れた座卓の陰から見ていた
▼50年後、銃殺刑に処された青年将校らの法要に請われ参列した。墓参りして階段を下りていくと、男性2人が涙を流しながら立っていた。父の寝室に入ってきた反乱兵の弟だという。2人は「これで私たちの二・二六が終わりました。私たちがまずお父さまのお墓参りをすべきだった」と謝罪、手紙を交わす間柄になったという
▼海軍一等機関兵のわが祖父は反乱軍鎮圧のため回航を命じられた戦艦長門に乗り、東京湾で待機していた。それ以上のことは分からないが、意外にも筆者の近くにまで伸びていた事件の影である。