館林時代の花袋(右)ときょうだい
変わりゆくまちの景色を詠んだ歌碑=館林市の尾曳稲荷神社境内

 花袋が館林で過ごした明治初期は時代の転換期だった。江戸期を支えた士族は没落、大火で焼けたまちや荒れ果てた城跡の情景は、花袋の心に残った。

 やがて近代産業の発展でまちは大きく変化していく。花袋の文学は、古里の変わりゆく様に影響された。

 〈さびしい〉〈余り色彩に富んだ町ではなかった〉

 花袋は当時の館林についてこう振り返る。自身は旧館林藩の武家に生まれ、武士の誇りを持って育った。館林城や城下町の大部分はしかし、幼少期の大火で焼失した。かつて繁栄の面影が残る城跡で遊んだ記憶は、思い出の中だけに残った。

 まちに抱いた寂しさは、時代の変化に取り残された人々の心情も反映されている。

 商売で失敗したり、職を失ったりして絶望に暮れる士族の様子を描いた「幼き頃のスケッチ」。花袋自身、幼い頃に父を失い、でっち奉公するなど決して豊かではなかった。〈階級の打破、職業の失墜―その暗い影の漲(みなぎ)った中で、私は大きくなった〉。立身出世への意識は、こうして育まれていった。

 花袋が文学の道へ進み、文壇で自然主義文学を確立する明治40年代は、館林にも近代化の波が押し寄せた時代だった。

 鉄道が開通し、近代産業が出現。古里を訪れた花袋は紀行文「東京の近郊」に書いた。〈館林は製粉が出来、汽車が出来、モスリンが出来てから、非常に賑(にぎや)かになつた〉

 発展を期待した一方で、脳裏にある古里の景色が失われていくことを憂えた。

 城沼近くの尾曳稲荷神社境内にある歌碑には、花袋の短歌が刻まれている。〈田とすかれ 畑と打れてよしきりも すまずなりたる 沼ぞかなしき〉。埋め立てられ、なじみのある鳥が住まなくなった沼の寂しさ、変わりゆくまちに向き合った。

 「時の流れに人が無力なのを悟った。変化を受け入れつつ、思い入れのある情景がなくなるセンチメンタリズムを投影した」。花袋研究学会事務局の宇田川昭子さん(77)=東京都=は指摘する。古里との関わりは花袋の文学を大きく左右したと受け止める。