▼鉄球で破壊される建物、銃で撃たれ担架で運ばれる機動隊員たち。連合赤軍メンバーによる「あさま山荘事件」は籠城10日目の1972年2月28日、最大のヤマ場を迎えた。テレビで中継され、最高視聴率は89.7%。国民の目をくぎ付けにした

 ▼なぜこんな事件が起きたのか。昭和40年代の全共闘運動を知らない世代には実感として理解しづらいかもしれない。学生運動が勢いを失いつつある中、一部の若者が武装革命を掲げて活動を先鋭化させた

 ▼連合赤軍は銃砲店から銃器を奪ったグループ「京浜安保共闘」と、金融機関強盗で資金を蓄えた「赤軍派」が合流して結成した。取り締まりから逃れるため山中に拠点を構え、軍事訓練を行った

 ▼銃による殲滅(せんめつ)戦を展開するためには個々が革命戦士となり、自らを共産主義化しなければならない。リーダーの主張に逆らえず、メンバーは「総括」という自己批判を求められた

 ▼「殴って気絶させ、目覚めると別の人間に生まれ変わる」との考えから、殴ることが指導とされた。だが簡単には気絶しない。執拗(しつよう)な暴行が繰り返され、酷寒に放置された。榛名、迦葉、妙義の山岳アジトでの死者は12人に上った

 ▼事件から50年、軽井沢町のあさま山荘を訪ねた。斜面を見上げると要塞(ようさい)のような姿そのままに、建物は雪と静寂に包まれていた。現在は香港の慈善団体が所有し、薬物依存の更生の場となっている。