福田さんが通った金古国民学校の校舎。戦後に火災で焼失した 福田さんが通った金古国民学校の校舎。戦後に火災で焼失した
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 金古国民学校へ毎朝登校すると、10時になると必ずと言っていいほど空襲警報が鳴り響き、直ちに下校、家に帰ることになった。勉強どころではなかったが、それでも担任の若い女の先生は教育熱心で、いろいろ心配してくれた。

 小学3年になると、戦局はさらに厳しくなり、県庁のある前橋市や軍需工場のある太田市などが敵の爆撃機による攻撃を受けるようになった。小学生とはいえ疎開した家族の中では最年長の男であったため、空襲警報が鳴ると家族の飛び込んだ防空壕(ぼうくうごう)の外で、敵機襲来の様子を見張るのが私の役目だった。家では雑草刈りはもちろん、繊維に加工する桑の幹の皮剥ぎなど、家の手伝いの多い毎日だった。

 あの時代、今のように物が有りあふれる時代ではなく、皆が同じように不便な生活をしていた。そういう社会は格差や不平等がなく、不満を言う人もいなかった。物がなくても困らない世界があることを経験した。

 戦時中という特殊事情にはあったが、私にとっての群馬の日々は、想像力を育む貴重な時間でもあった。遊ぶもののない中、麦わらを組み合わせて小さな軍用機に見立ててたくさん作って並べると、天下無敵の航空隊が出来上がる。想像力を膨らませて楽しんだ。

 ある時、近くの堤ケ岡にあった前橋飛行場の軍用機を、空襲から守るために民家の竹やぶに隠すことになり、わが家も1機を預かることになった。飛行機が通れるように飛行場からの桑畑の道を広げ、私たちも大人と一緒に綱で機体を引っ張って竹やぶに運び入れた。