「帝国が平和裏に衰退するのはまれである」と言われる。今ウクライナで起こっているのは、米国とソ連という二つの帝国を盟主とする東西両陣営の冷戦が名実ともに終結し、帝国の復活を夢見たロシアが世界を巻き添えにして自壊する最終局面だろう。
冷戦は1989年、西側の勝利で平和裏に終結したといわれる。ソ連帝国は解体され、旧東・中欧には多くの独立国が生まれた。その後、世界は民主主義と資本主義市場経済が広く浸透し、国境を越えたヒトやカネ、モノ、情報が自由に行き交う時代になった。ロシアも先進7カ国(G7)首脳会議に招かれるなど、諸国と共に新しい国際秩序の一員になると期待された。冷戦という大国間の紛争は過去のものになったと思われた。
しかしそうではなかった。プーチン大統領とその周辺にとって、冷戦は終わってはいなかった。ソ連帝国が崩壊し、ロシアが普通の国家になるのは受け入れがたい屈辱だった。ロシアは帝国であり続け、帝国にふさわしい影響力を周辺諸国に及ぼし、大国としての処遇を国際社会で受けなければならない。尊敬であれ恐怖であれ、ロシアは世界から一目置かれる存在でなければならないという考えだ。
大国政治には独自の論理がある。大国は、自国の利益を侵害する国が生まれないよう、自国の周辺に「影響力圏」をつくる。日本が戦前に掲げた「東亜新秩序」もその一例だ。
大国の影響力圏同士が接近して軋轢(あつれき)を生まないように、両者の間に「緩衝地帯」が置かれるのが普通である。緩衝地帯にある国は対外政策の自由が厳しく制約され、その運命は大国によって左右される。緩衝地帯では数多くの悲劇が生まれたが、それが冷酷な大国政治の現実だ。ウクライナはそうした位置にある。
北大西洋条約機構(NATO)という軍事同盟へのウクライナの加盟はロシアには受け入れられない。自国の影響力圏を危険にさらすからだ。だが、ロシアの野望が達成される可能性はない。ロシアは野望を支える国力を欠く。
過去30年、ロシアは経済改革に後ろ向きで、近代化に失敗した。国内総生産(GDP)では世界で11番目にすぎない。技術開発力は弱く、資本が海外に逃避し、人材の流失も深刻である。欧米の政治家は「ロシアは核兵器を持ってはいるが、実態は石油とガスを売るだけの給油所にすぎない」と揶揄(やゆ)していた。
私たちは今、二つの深刻な問題に直面している。ロシアが衰退の過程で世界を大混乱に陥れる可能性があることだ。そして、ロシア同様に、失われた帝国の復活という野心を秘めた国が私たちのすぐ近くにもう一つあることだ。「中華民族の偉大なる復興」を唱える、巨大な国力を有するこの国の威圧的な行動は、ロシアよりもはるかに深刻な問題を提起している。
【略歴】日本国際問題研究所上席客員研究員を兼務。ブリティッシュコロンビア大客員教授などを歴任。伊勢崎市出身。前橋高卒。一橋大大学院で博士号取得。
2022/3/15掲載