▼春の気配がする前橋市街地の広瀬川沿いを歩いた。芽吹きを待つヤナギの枝の淡い萌黄(もえぎ)色をたどると、モダンな橋に着いた。1933年建造の比刀根橋。被弾跡を残しつつ戦火を免れた

 ▼「目を覚まし、川の水を飲ませてもらった。それはうまかった」。そう述懐するのは近くの原田恒弘さん(84)。45年8月の前橋空襲で避難者の大半が犠牲となった比刀根橋防空壕(ごう)で奇跡的に助かった1人だ。一時は心肺停止となり、献身的な処置で命を取り留めた

 ▼コンクリート製で「前橋で一番安全」とされたが、扉を破り炎が襲った。大混乱の中、7歳の原田さんが夢中ですがると、“どこかのおばちゃん”が抱きかかえてくれた。そこで気を失った。数日後、自分をかばったおばちゃんが絶命したと知る

 ▼ロシアの侵攻でウクライナは日に日に民間人の犠牲が膨らむ。核兵器使用もちらつかせる大国の横暴だ。国内では米国の核兵器を配備し共同運用する「核共有」を議論すべきだとの声が出ている

 ▼「死にたくないの」。テレビが映すウクライナの少女の涙に、原田さんは「あの日の俺じゃないか」と自らを重ね、何もできない無力感がつらいと嘆く

 ▼県内は義援金や難民受け入れ表明といった支援が広がるが、何より一刻も早い停戦が望まれる。壕の跡から程近い愛宕神社は「火伏せの神」として知られる。原田さんは24日の例大祭で平和を祈るつもりだ。