ロシアによるウクライナ侵攻を目の当たりにし、教育に携わる者として自分に何ができるのか悩んでいます。

 学生たちにはこれまで「国際関係は映画の中の出来事ではない」と話をして、私たちと世界とのつながりを分析せよ、と課題を出してきました。しかし今回については、他でもない私自身が、映画を見るようにロシアの軍事侵攻を眺め、自分と問題とを切り離そうとしていることに気付きました。起きてはいけないことが実際に起きていることについて、信じることができなかったのです。そして、教育は戦争を未然に防ぐ上でどれほど意味があるのだろうかと、考え込んでしまいました。

 皆さんだったら、学生たちに今、何を伝えますか。

 私は、一つの思い込みに対する反省から始めたいと思います。それは、世界は戦争という惨劇と無意味さについて「もう十分に学んだはずだ」という過信です。

 戦争と平和に関わる問題には「学びの到達点」や「これで十分」と言える範囲はないのです。学んだことをそのままにするのではなく、それを基に対話や議論を続けていくことが必要だと思いました。これは、平和を所与のものと捉えずに、その在り方を問い続ける態度であると言えます。

 何をどう学ぶかも大切です。例えば「戦争は悪いことだ」と話をしても、なぜそう言えるのかについて、きちんと伝えてこなかったのではないかと思うのです。当たり前のこととして片付けてしまい、さまざまな角度から検討することを怠ってきたのかもしれません。

 戦争を身近な生活に関連づけて考えることもできます。原油価格や穀物類の高騰に着目することは、遠く離れた戦争を自分事として学ぶ上で有意義だと考えます。

 しかし、私たちと戦争との接点はこれだけではありません。時間と空間を超えたところにも、歴史的で、経験的なつながりを見いだすことができます。

 本県の現代史をひもといてください。私たちにはかつて、ベトナム戦争によって生じたインドシナ難民を受け入れてきた経験があります。ベトナムで起きたこと、受け入れ事業の背景のこと、そして受け入れ後のことなどについて振り返るのはどうでしょう。そうした学びは、現在のウクライナ危機に対する私たちの向き合い方を考える上で、大きな気付きを与えてくれると思います。

 最後に、国連ユネスコ憲章の前文を紹介します。そこには「戦争は人の心の中で生まれるものであるから、人の心の中に平和のとりでを築かなければならない」と記されています。この実現に向けた学びの機会を、私たちと問題とのさまざまな接点に注目して創出することは、教育の持つ大きな可能性の一つであると考えます。

 【略歴】専門は国際協力学。外務省研究調査員などを経て2016年、前橋国際大に着任。著書に「群馬で学ぶ多文化共生」。福島県出身。東京大大学院博士課程修了。

2022/4/2掲載