竹久夢二は1919(大正8)年に初めて群馬を訪れ、伊香保と榛名に足を踏み入れました。

 夢二が伊香保を知るきっかけになったのは、11(明治44)年10月、加藤ミドリ(旧姓松沢)さんという伊香保出身の少女のファンレターだったと推測されます。12歳のミドリさんは伊香保で出会った絵描きが夢二先生ではなかったかと尋ね、ファンとしてあどけない手紙を送ります。

 夢二はすぐに返信します。〈愛らしいお手紙うれしくうれしく拝見しました。イカホとやらでお逢ひになったのは私でありません。それが私であったろうならと心惜しく思はれます。お逢ひする日があったらその日を楽しみませう。さらば春の花の世をすごさせたまへ かしこ夢二 ミドリ様〉

 「イカホとやらで」とつづっていることから、夢二がこの時、伊香保という地名を知らなかったことがうかがえます。それから8年後の6月26日に榛名の湖畔亭、7月1日には伊香保の橋本ホテル、同4日には木暮旅館に宿泊した記録が残っています。木暮旅館では、ファンレターの少女、ミドリさんが仲居として働いていて、偶然にも夢二の部屋付きになったというエピソードがあります。

 以降、夢二が足しげく伊香保を訪れたのは29(昭和4)年頃でした。当時、夢二にとって不遇なことが多く、長いスランプが続いていました。友人の釜屋了貫には「経本と墨染めの衣を送ってほしい」と手紙を送り、厭世(えんせい)観にさいなまれるほど孤独だったようです。しかし、伊香保を訪れると豊かな自然と温かな人情に癒やされ、隠居を望んでいたことがうそのように、次第に元気を取り戻します。

 ある時、榛名神社の佐藤郁三から榛名湖の湖越しに榛名富士を望むことのできる土地の提供を受けることになり、榛名山に美術研究所を建設する理想を抱くまでになります。塚越旅館主の塚越七平は「アトリエができるまで宿賃はいらないから」と厚遇し、画家の根岸毒二や井上工業の井上房一郎らも物心両面の協力を惜しまなかったそうです。群馬県人は義理人情に厚いと言われますが、まさにそれを物語るエピソードです。

 人の心は千変万化します。良い時もあれば悪い時もあります。どんな時でも自然や人との触れ合いは心を癒やし、栄養を蓄えさせてくれます。

 私自身、学生時代は都内から帰省するたびに迎えてくれる上毛三山の山並みが、言葉では言い尽くせない温かさに満ちていると感じていました。そしてそこから英気を養っていたことを思い出します。群馬にはそんな素晴らしい力が宿っているように思えてなりません。地元から離れ、初めて感じた群馬への愛着でした。夢二もきっと、何らかの力をここ群馬に感じたのでしょう。

 【略歴】会社員を3年経験して1996年から竹久夢二伊香保記念館に勤務。2016年から現職。17年に京都芸術大に編入して今春、学芸員の資格を取得し、卒業。

2022/4/5掲載