2019/01/03【三山春秋】高崎の群馬音楽センターで…
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 ▼高崎の群馬音楽センターで行われた元旦コンサートに出掛けた。アントニン・レーモンドが設計したホールで演奏する群馬交響楽団を見つめながら考えていたのは、もう語られることも少なくなった群響生みの親、丸山勝広さんのことだった

 ▼「丸山ラッパが死んだ。すぐ病院に行ってくれ」。新米記者だった筆者に指示が飛んだのは1992年2月28日夜のことだ。駆け付けた病院には友人らが集い、深い悲しみに包まれていた

 ▼丸山さんは終戦の45年11月、群響の前身となる高崎市民オーケストラ結成に参加。地方都市にオーケストラは育たないと言われた時代、高崎にプロの楽団をつくることを夢見た

 ▼途方もない夢はときにやゆされ、ほら吹きを意味する「丸山ラッパ」と陰口をたたかれた。だが、くじけなかった。映画「ここに泉あり」製作、音楽センター建設など次々と実現した

 ▼明るい人柄は小澤征爾さんをはじめ皆から愛された。運営を巡って団員と軋轢あつれきも生んだが、「人生にもう駄目だということはない。そう思ったときが駄目なのだ」と鼓舞した

 ▼群響は今年4月、指揮者の小林研一郎さんを迎え、9月には新拠点となる高崎芸術劇場がこけら落としを迎える。「私にとっての音楽は、とりもなおさず群響が奏でる音なんです」。群響を愛した丸山さんの夢がまた一歩前に進む。

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