2020/01/04【三山春秋】弊社の書庫で『魚前線』という...
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 ▼弊社の書庫で『魚前線』という1974(昭和49)年発行の句集を見つけた。著者は高桑更平。序文を俳誌「石人」主宰の相葉有流、題字を書家の米倉大謙が寄せた。大御所が名を連ねる句集を編んだのはどのような人物か興味が湧いた

 ▼序文によると、前橋市住吉町で近江屋という呉服商を営んだ。歩いて買いに来る近郊の農家を集めて繁盛したが、戦後、国道17号の拡幅やバス交通の発達で中心街に客を奪われ、店を畳んだ

 ▼心機一転、魚市場に就職。「ゴム長」に着替え、そろばんを手かぎに持ち替えた。凍えるような日も夜明け前から働き、家族を養った

 ▼俳句から人柄が浮かび上がる。〈初市場魚くさき句誌腰に挿し〉〈夢など無しされど北風きたには背ナ向けず〉。妻に先立たれ、〈骨壺の乳房吸いたく彼岸経〉と詠んだ

 ▼江戸中期の俳人で蕉風中興の大家、高桑闌更らんこうは遠い先祖に当たるという。金沢生まれの闌更は関東や甲信越を行脚し、上州にも足を延ばした。『俳諧多胡碑集』を編み、江戸や京都で出版。多胡碑の存在を全国に広めた功労者でもある

 ▼更平は菩提ぼだい寺の政淳寺(前橋市)に句碑を建てて顕彰。資金は俳友が寄せた。温かな人柄で慕われながら84年に70歳で亡くなった。辞世は〈この酒と路傍に死なん雪ぼとけ〉。たまたま手にした句集で知った市井の豊かな一生である。

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