2020/05/31【三山春秋】「烏有」という言葉が強く印象に…
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 ▼「烏有うゆう」という言葉が強く印象に残った。1998年に第6回萩原朔太郎賞を受けた財部たからべ鳥子さん(東京都)の詩集『烏有の人』を発表直後に読んだときだった

 ▼「烏有」は漢語の「いずくんぞ有らんや」が元で、何物もないことを意味する。財部さんは33(昭和8)年、生後2カ月で両親とともに旧満州(中国東北部)に移住し、終戦後の収容所生活の中で父と幼い妹を亡くした

 ▼異郷での過酷な体験が原点になり、長い時間をかけ、辛い記憶に向き合う詩を作り続けた。そして引き揚げから50年余り後に上梓したのが朔太郎賞受賞作だった

 ▼「烏有の人」とは厳冬に亡くなった肉親たちのこと。詩には敬愛する詩人や架空の人物らも現れる。選考委員の那珂太郎さんは「満州での体験を自分の内部で発酵させ、優れた作品として結晶させた」と称えた

 ▼14日に財部さんが亡くなったと聞き、とっさに浮かんだのが烏有という語だった。〈曇りぞらの光のように/どこにでもいるよと/心平さんが/明るい声でいうようである〉。心平さんは、この詩が書かれる10年前に亡くなった詩人、草野心平さんだ

 ▼久しぶりに読み返した作品の、現世にはいない人たちと対話するような穏やかな表現から、失われたことの痛みが以前にもまして強く伝わってきた。読む者のなかでも熟成し続ける詩の言葉の力を思う。

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