2020/11/20【三山春秋】やや黄ばんだ名刺に「原富岡製糸…
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 ▼やや黄ばんだ名刺に「原富岡製糸所長 大久保佐一」の名。余白の文字は万年筆か。写真の腕前を〈存外上手〉と褒め、〈蚕種家を廃業しても写真業で生活が出来る事を保証します〉と冗談めかして書いている

 ▼大正から昭和初期にかけて旧佐波郡茂呂村(現伊勢崎市)で蚕種業を営んだ小林多一郎のアルバムに、名刺は挟まっていた。1930(昭和5)年に静岡へ視察旅行をした際、小林が大久保を撮った写真の礼状代わりらしい

 ▼県内の蚕糸業史に詳しい共愛学園前橋国際大名誉教授の宮崎俊弥さんによると、大久保は当時、同製糸所長と組合製糸群馬社長を兼務。「群馬社の蚕種改良に奔走していた時期で、有力蚕種家だった小林と親交があったのだろう」と見る

 ▼小林は東京の西ケ原高等蚕糸学校卒。蚕種業の傍ら、養蚕の講習所「適蚕館」を創設し、後進を育てた。孫の茂宣さんが築150年以上の自宅を取り壊すことになり、約250点の資料を見つけた

 ▼講習所の卒業記念写真だけでなく、佐波郡の蚕種業者と台湾へ視察に行った際の写真もある。写真業は始めなかったものの、小林が残した記録は歴史を語る

 ▼蚕種製造では世界遺産のある同市境島村が知られるが、当時の蚕種業や後進育成の実態を知る手掛かりになるだろう。貴重な資料が今後の研究に生かされることを期待したい。

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