2021/04/08【三山春秋】〈春風や闘志いだきて丘に立つ〉…
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 ▼〈春風や闘志いだきて丘に立つ〉。高浜虚子は小説家の夢を捨て、この句とともに俳壇に復帰した。虚子によって俳誌『ホトトギス』は隆盛を極め、村上鬼城ら優れた俳人を輩出した。きょうは命日「虚子忌」である

 ▼虚子を支えて表には出なかったが、妻の糸は前橋の生まれである。父は元前橋藩士で、東京・神田区淡路町で高田屋という下宿を営んだ。長女が台所、次女の糸は下宿生を世話した

 ▼1896(明治29)年に身を寄せたのが伊予尋常中学時代から仲の良かった河東碧梧桐と虚子だった。先に入った碧梧桐は糸に好意を寄せて婚約。だが天然痘で入院している間に、糸は虚子と恋仲になってしまった

 ▼碧梧桐も傷ついたが、虚子も悩んだことだろう。〈ほとんど百日間苦悶くもんの結果、終に大畠豊水第二女「糸」なるものは小生が偕老同穴かいろうどうけつの友たるべきものと決心仕り候〉と正岡子規に手紙で打ち明けている

 ▼孫の稲畑汀子さんは「優しい人でしたが、怖いおばあちゃまでした」と振り返る。「潔癖で、机を拭くときもまず回りを拭いてから中をしっかり拭く。鎌倉の家に行くと、礼儀正しくするよういつも言われました」

 ▼合作のような句がある。幹から飛び出して咲いた桜の花を見つけ、糸がかんざしのようだと言った。それを聞いた虚子は〈幹にちよと花簪かんざしのやうな花〉と仕立てた。晩年は脚が不自由だったが、虚子よりも長く94歳まで生きた。

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